大判例

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大阪地方裁判所 昭和63年(わ)1885号 判決

主文

被告人を懲役一年一0月に処する。

未決勾留日数中一二0日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年二月上旬ころから同月一二日までの間、大阪市此花区〈住所省略〉の当時の自室若しくは同市内又はその周辺において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤を水に溶かして自己の身体に注射し、あるいは飲用するなどして使用したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯前科)

被告人は、昭和六一年三月二八日大阪地方裁判所堺支部において、覚せい剤取締法違反罪により懲役一年六月に処せられ、昭和六二年七月二八日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は、検察事務官作成の前科調書及び被告人に対する昭和六一年四月一二日付調書判決(謄本)によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に該当するが、前記の前科があるので、刑法五六条一項、五七条により再犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年一0月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二0日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(争点に対する判断)

一  被告人及び弁護人は、被告人に対する本件採尿手続には重大な違法があるので、尿及びその鑑定結果は違法収集証拠として証拠能力がなく、排除されるべきであるとした上、本件においては被告人の覚せい剤使用の事実を認定できる証拠がないから、被告人は無罪である旨主張する。

二  そこで検討するに、関係証拠を総合すると、本件において被告人の尿が警察官に提出されるまでの経過は、概要次のとおりであったと認められる。

1  昭和六三年二月一二日午前一0時三0分ころ、大阪府此花警察署内で、同署防犯課に勤務していた警察官Aのもとに、被告人からのものと思われる「B係長さんおられますか。」との電話がかかり、更に同一一時半過ぎにも、今度は西島のC荘に住む甲(被告人)である旨名乗った上、「Bという人に私は捜されている。二月一九日が捕まる日や。以前にB係長からはシャブで調べられた。」などといった要領を得ない電話が再度右Aのもとにかかってきた。

2  不審を抱いたAは、当時C荘には覚せい剤使用者が出入りしているとの風評があったこともあって、あるいは右電話の相手方が覚せい剤の使用によって変調を来しているのではないかと考え、その者に対し電話で、「とりあえず警察官をC荘に出向かせるから、そのまま待っているように。」と申し向けた上、直ちに同警察署警ら課勤務の警察官Dに右電話の内容を伝えて、出動を要請した。

3  そのころ、右Dは、他一名の警察官と共に折からパトロールカーに乗って同署管内を警ら中であったが、右要請を受けてまもなくC荘二階一一号の当時の被告人方居室に赴き、右電話の相手方が被告人であることを確認した。

4  しかし、その際にも被告人は、電話をかけた理由については、前同様の要領を得ない説明をしており、かつ、その応接態度もそわそわとして落着きがなかった。

5  そのため、右Dにおいても、被告人が覚せい剤を使用しているものとの疑いを抱き、パトロールカーの無線機によって被告人の前科照会をしたところ、被告人が覚せい剤取締法違反罪の前科三犯を有する者との回答を得、また、その場で被告人に対して最近における覚せい剤使用の有無を尋ねたところ、被告人から「一週間程前に打った。」旨の供述を得、更には、被告人の右腕肘関節部の内側に比較的真新しい注射痕があるのをも認めた。

6  そこで、Dは、被告人に対する覚せい剤使用の容疑を一段と深め、被告人から尿を提出させるため、前記此花署への任意同行を求めた。

7  これに対し、被告人は、「Bさんに会わせてくれるのか。」とか、「帰りは送ってくれるか。」などと言いながらも、自らパトロールカーに乗り込んで右同行に応じ、一行は同日午後零時過ぎころ同署に到着した。

8  同署到着後、被告人は、三階防犯課の部屋に連れて行かれ、Dに代わって前記Aから事情聴取を受けることとなったが、その際にも同人に対して素直に覚せい剤使用の事実を認め、求められるままに自己の右腕部の注射痕を見せ、またその写真撮影にも応じた。

9  そして、被告人は、尿の提出にも応じる態度を示したため、Aは、被告人に採尿用の容器を持たせた上、他一名の警察官と共に被告人を同署三階の便所に連れて行った。

10  しかし、右の態度とは逆に、被告人は、実際には尿を容器に採尿せず、便器に排せつして流してしまった。

11  これを見たAは、「どうしてそんなことをするのか。」となじったが、被告人は、笑いながら「ちょっとした冗談や。」と言っていた。

12  その後Aらは、被告人を同署二階の調べ室に連れて行き、同室内で雑談を交えながら、再度被告人に対して採尿に応じるよう求めた。

13  ところが、被告人は、今度は容易に右要求に応じる態度を見せず、そのうち、「Bさんと連絡してくれんのなら帰る。刑訴法の規定に基づいて帰らしてもらう。」などと言い出して席を立とうとしたが、Aらは、これを肩を押さえるなどして阻止した上、更にさまざまな言辞による説得を続け、その間、「俺らも忙しんやから素直に小便出して帰れ。明日の朝まで待って、裁判所から強制採尿の令状をもらってきて小便とろか。」などとも申し向けた。

14  その結果、同日午後一時過ぎころになって、被告人は、「Bさんと連絡とってくれるのなら採尿に応じてもよい。」旨承諾し、同署二階の便所において自ら容器に採尿した上、これをAに提出し、併せて、その尿の任意提出書及び所有権放棄書をも作成した。

三  以上の経過に照らしてみると、被告人が第一回目の採尿を果たさず、そのためAらにおいて再度被告人に対し尿提出の説得にかかったころまでの捜査活動については、いわゆる任意捜査として何ら法律上問題視すべきものはないが、右説得の過程において被告人が帰宅したい旨の言動をとった時点以降のそれについては、少なからず問題があるというべきである。

すなわち、本件採尿手続は前記認定のとおりの経過をたどって行われたものであるが、被告人としては尿を提出することについて当初から内心かなり強い抵抗感を持っており、遅くとも右の帰宅の申出をした時点においては、その帰宅の意思と共にもはや採尿に応じたくないという意思を、外部的にも明確にしていたことが認められる。してみれば、Aらがその後あえて肩を押さえるなどして被告人を椅子に座らせ、約一時間近くにわたり前記警察署に留め置いたのは、任意の取調べの域を超え、実力をもって被告人の行動の自由を違法に侵害したものといわざるを得ず、更に、当時その用意のないまま被告人に対して強制採尿の方法をとるかのごとく言及したのも、被告人をして尿を提出させるための不当な心理強制であったといわざるを得ない。

そうだとすると、右のような警察官の違法な捜査活動によって得られた本件第二回目の採尿に関する被告人の承諾は、その任意性に甚だ疑問があるというべきであり、いずれにしても、右違法な捜査活動によりもたらされた状態を直接利用して行われたものである以上、本件採尿手続は結局違法性を帯びるとのそしりを免れない。

四 しかしながら、過去数次の最高裁判所の判例にも示されているように、採尿手続が違法であるからといって、それをもって直ちに採尿された尿の鑑定書の証拠能力までが否定されるのではなく、その違法の程度が令状収集の精神を没却するような重大なものであり、当該鑑定書を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められるときに、その証拠能力が否定されると解すべきである(最高裁昭和五一年(あ)第八六五号同五三年九月七日第一小法廷判決、同六0年(あ)第四二七号同六一年四月二五日第二小法廷判決、同六二年(あ)第九四四号同六三年九月一六日第二小法廷判決参照)。

五 これを本件についてみるのに、被告人が当初から警察官に対して覚せい剤使用の事実を一応概括的ながらも認めていたことに加え、此花警察署に至るまでの被告人の言動や態度、更にはその右腕部に比較的真新しい注射痕の存在が認められたことなどからすると、実質的には、被告人が帰宅を申し出た段階において被告人を覚せい剤使用の犯人として緊急逮捕することも許されたといえるのであるから、本件は単に警察官において法の執行方法の選択ないしは捜査の手順を誤ったものにすぎず、法規からの逸脱の程度が実質的に大きいとはいえない。のみならず、本件では警察官の有形力の行使がせいぜい肩を押さえる程度にとどまっていて、暴力的な点のないこと、警察官において令状主義に関する法規を潜脱する意図があったとはいえないこと、更に、被告人が行動の自由を奪われていた時間は約一時間足らずで比較的に短いことなどの事情も認められるのであって、これらの点をも併せ考えると、本件採尿手続の帯有する違法の程度は、いまだ重大であるとはいえず、本件尿の鑑定書を被告人の罪証に供することが違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められない。したがって、右鑑定書の証拠能力は否定されるべきではない。

六  そして、証人A及び同Eの当公判廷における各供述によれば、右鑑定書は刑訴法三二一条四項の準用によってその証拠能力が認められるばかりか、同鑑定の対象となった尿も、紛れもなく本件採尿手続によって提出された被告人の尿であって、本件公訴事実は、右鑑定書を含む証拠の標目掲記の各証拠によって優に肯認できるものといわなければならない。

被告人及び弁護人の前記各主張は、結局において採用できない。

七  なお、弁護人は、本件においては被告人がコーヒーに混入した覚せい剤を知らずに飲用した可能性があるとして、本件犯行時被告人に覚せい剤使用の認識がなかったとも主張するのであるが、これに沿う被告人の当公判廷における供述は、被告人自身が捜査段階において「覚せい剤を缶コーヒーの中に入れて飲んだことがある」旨、かえって右認識の存在を肯定する供述をしていることなどに照らし、とうてい措信できなく、他に本件犯行時被告人が覚せい剤をその認識なくして身体に摂取したことを窺わせる事情も見当たらないから、右主張もまた採用できない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官白井万久)

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